杉野匠海君と初めて会ったのは、彼が中学1年の時だった。国語が全然できない、と三年間一緒に勉強した。
中学3年になって、国語は得意科目となり、安定して7~8割は得点できるようになった。
そんな彼のお母さんから電話がかかってきたのは去年の、忘れもしない8月1日。
彼は私学の野球部に入っていたことは知っていた。
部活動を引退してから、京都産業大学の国際関係学部に総括型入試(AO入試)で挑戦したいという。
志望理由書と講義を聞いてのレポートが一次試験、面接とグループディスカッションが二次試験とのこと。3年間は全くの没交渉、彼の学力がどうなっているのかも全くわからない状態。3年間は野球しかしていないとのこと。とりあえず、引き受けることにした。
手探りで志望理由書を仕上げて清書をしたのだが、1週間ほどかかって仕上げ提出。何枚も書いたそうだ。これで考え方、書き方などが身に着いたのではないかと私は思う。
講義を受けに大学に行き、見事に一次試験は突破した。
二次試験はグループディスカッションと面接。英語の音読ができなかったとのことで、残念な結果に。
公募推薦も。そのあとスランプに陥って、得意な国語が出来なくなってしまった。
前期試験はどうにか立て直してきたが、合格最低点に二点足らず。
中期試験は、古典と社会があり勉強していなかったので。
そして臨んだ、後期試験。
その前に体調を崩した。彼は焦ったと思うが、ちょうどよい休憩の時間だと私は思った。
試験の前に話したが、まあ、国語に関してはよくできていた。
そして発表の18日。
10時3分に、「合格しました」との知らせが。
あきらめず、よく頑張った。
心が折れそうなときもあったと思う。
野球部での厳しい練習に対して、「暖かい部屋で勉強ができるのは最高」、「部活のことを考えたら、単語はいくつでも覚えられる」と、部活で鍛えられた強い精神力には頭がさがる。
合格後、高校の先生方がとても喜んでくださったそう。
おかあさまからは「やっぱり川野先生のご指導は最高なんだと、私は改めて納得しました」というお言葉をいただいた。
ポイントは英語の攻略。地道に単語とidion。国語に関しては彼の国語の身に着いた力だ。中学生の時から、ということもあったし、問題数は誰よりもたくさん解いた。
大学でもがんばって、将来の夢をかなえて欲しい。
おめでとうございます。
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